こんにちは。
toiee Labの林です。

僕は写真をやっているのですが、
最近、人と話したときに

「写真ってセンスいるから、すごいと思う!」

と言われました。

そういった言葉に対して、
「これくらいなら、だれでもできるよ」
といつも返します。

なぜなら写真は、僕が
「センスがない」
と固く信じていた分野だからです。

思い返せば、「センス」に関して
苦い記憶があります。

「センスがない」と、
挫折を味わったのは、小学校の頃でした。

心折れた少年時代

ぼくは小学生の頃から
図画工作や、美術の分野が大の苦手でした。

授業についていけず、
放課後、学校に残らないことはなく、
夕暮れの教室でひとり、
泣きそうになりながら絵の具を
ペタペタと塗っていたことを思い出します。

つくったものを見られるのが恥ずかしく、
小学校、中学校と、図画工作も美術も
低い評価をつけられて、
どんどん自信を失っていきました。

自分には「美的センス」がないと
思い始めました。

根深い苦手意識が植えつけられてしまったのです。
美的センスのなさに絶望していました。

しかし、あることをきっかけに
自分に美的センスを感じ始めます。

「美的センス」との遭遇

きっかけは、写真を撮ったことでした。
家族で桜を見に行った時のことです。

僕が携帯で写真を撮って母に見せると、
母が「きれいな写真だね」
と言いました。

その一言で嬉しくなった僕は
思い切ってカメラを買って写真を撮り始めました。

それからというもの、
時間を見つけてはカメラを持って
でかけて写真を撮るという日々が続きました。

あーでもない、こーでもない
と言ながら何枚も写真を撮っては、
人に見せました。

そうしているうちに、
撮った写真を友達に見せると、

「美的センスあるね!」

と言われることもでてきました。

今まで美的センスが
絶望的にないと思っていた僕にとって
この言葉は驚きでした。

自分には縁がないと思った世界に
近づいたような気がして嬉しくなり、
それまで興味のなかった
美術館の展示やアートのイベントに
足を運ぶようになりました。

センスがいるのは当然

「あの人はセンスがある」
という使い方をよくしますよね。
生まれつきもっているものを指す、
「才能」に近い使われ方をしています。

しかし実のところ、その正体は、

「知識と経験の積み重ね」

だと思います。

つまり、センスは積み重ねて磨いていくことができます。
上達していくためには知識や経験は必要ですから、
センスがいるのは当たり前ですよね。

思い返してみると、
「センスがない」と感じているものは
実はあまりやったことがありません。

反対に、僕の場合、写真は、ある程度の
知識と経験を積んでいます。

「センスがない」ということは、
ただ、知識が経験が足りない、ということであって
成長する可能性を自ら閉ざすことはありません。

本当は少し、つまづいただけ

最初は、ちょっとしたことで、
つまづいたのだと思います。

そのときに、
楽しんで学べる手助けをしてもらえず、
見放され、ただ低い評価を受け続けたことで、

「どーせできない」

と思って、諦めてしまい、
上達するどころか、どんどん苦手になっていきました。
もし、教育側が

「どうやって描いたの?」

というように問いかけることで
探求して学ぶことができたなら、
もしかしたら絵を描くことが
好きになっていたかもしれません。

ちょっとしたつまづきのせいで
やってみる機会が失われ、
センスを磨かれることがなくなっていたら…

才能を見過ごしていたら…
それってすごくもったいないですよね。

学び方の違いは、

大きな違いをもたらします

やったこともないのに、勝手に「できるはずがない」
と思い込んでいることはありませんか?

もし、やってみてダメだったとしても
「学び方」が悪かっただけかもしれません。
異なる学習のプロセスで、新しい「学び方」を学べば
学ぶことができるかもしれません。

学ぶことができるということは
知識や経験を積み重ねて
センスを磨いていくことができるということです。

もし、やってみたい気持ちがあるなら、
一度、やってみましょう。

ぜひ、toiee Labで学び方を学んで、
あなたのセンスを磨いてください。

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