嫌な大人は、Bグループ

「なんで?」と聞いてはいけない学校教育

子供の頃、私は大人を2種類に分けていました。

Aの大人には、心を開いてなんでも相談しました。逆に、Bの大人には心を閉じて、本音は隠し、聞いているふりをしました

最近、私のように「大人を分類」して、接している子どもが、非常に多いことに気づき、驚きました。

あなたは、どちらの大人ですか?

心を開かれる人と、閉じられてしまう人の違い

私は、小さい頃から何に対しても「なんでだろう?」と考えてしまいます。

例えば、

・中学の授業で習った数学の方程式 から

・電車のつり革の広告の配置や

・綺麗だと思った色の組み合わせなど

授業の内容から普段の生活まで、ありとあらゆるものに「なんでだろう」と考えてしまいます。

そんな「なんでだろう?」が原因で、大好きだった数学が嫌いになり、本を読むことが苦痛になり、絵を描くことも嫌いになりました。

もしかしたら、あなたも私と同じような経験をしているかもしれません。もしくは、あなたが「なんで?」を聞かない大人なら、周りの人の力を奪い、やる気を削ぎ、能力を抑制している可能性があります。

今日は、この「なんでだろう?」人間の能力を伸ばしていくヒントについて考えてみたいと思います。

鳩と同じ扱いをする先生

中学の数学の先生は、グループB

中学生の頃に、方程式を習った時のことです。

「式にあてはめて、問題を解きましょう」という先生の合図とともに問題を解き進める友人の横で、

と、問題を解く以前に、xとyを使うことに「なんでだろう?」と思った私は、先生に質問しました。

私「どうしてxとyを使うんですか?」

先生「なんでって笑…、そういうものなんですよ」

私「???」

先生「決まっていることなので、そういうことは気にせずに問題を解いてください」

それでも、知りたいという好奇心から先生に質問を繰り返すと、、

「なんで?と言わず、とにかく覚えてください」

と、怒られてしまいました。

その後、この先生は、

「なんでなどは考えずに、とりあえず問題をといてくださいね。」

と前置きをするようになりました。まるで、私からの質問を避けるかのように。

この事件によって私は、この先生をBグループ(心を閉ざして、信頼せず、嫌いな大人のラベルを貼り付けた)に分類しました。

グループB、最悪な先生の例

数学だけでなく、国語でも

質問しなければ良かったという後悔

私は、座って静かに本を読んだり書道をするなどより、外に出て走り回ったり、何か手を動かして、作ったりするなど「やってみて学ぶ」ことの方が好きでした

そんな幼少期の過ごし方のせいもあってか、本を読むことに慣れておらず、学校の国語の授業では、他の子よりも文章を読むのがゆっくりでした。

しかも、その上、恒例の「なんでセンサー」が物語のあちらこちらで発生し、ますます読むことが遅くなっていました

「これが答えなの!」静まり返る教室

ある時、国語のテストの採点に対して恒例の「なんでセンサー」が発動しました。

自分の解答と正解を照らし合わせている時、ふと

と疑問がわき、先生に尋ねました。すると、予想外の言葉が返ってきたのです。

「どうしてではなくて、これが答えなのよ。」

「あなたの解答は、間違いなのよ。認めなさい!」

と大声で怒鳴られてしまいました。

私は、本当に驚きました。

ただただ純粋に、「どうしてこれが答えなのか?」が知りたかっただけで、先生に尋ねに行ったのですが、その先生は、

添削にケチをつけている

と勘違いし、怒りをあらわにしました。

頭ごなしに怒られたことに驚き、悲しくなるだけでなく、

と惨めさを感じ、教室にいることさえも嫌になりました。

「つべこべ」言うな教育が生み出すもの

その日以来、国語の授業は苦痛になり、本を読むことに苦手意識が芽生え、私生活でも極力本を読まずに済むようにしました。

また、これが大きなきっかけとなって、学校で「なんでだろう」と聞くことは、極力避けるようにしました。

私は「なんでだろう?」と考えることを「悪い事だ」と思うようになりました。ただただ、大人の言う通りに、作業する我慢の時間が「勉強だ」と思っていました。

大人は警戒対象

いつしか「なんで」と自由に聞けない学校の授業(勉強)に窮屈さを感じ、学校での勉強が嫌いになりました。

その後、私は「希少なグループA = なぜ?と聞いてもOKな大人」を見つけ、彼らだけに、恐る恐る心を開くようにしました。

グループBにはなんでと聞かず、質問は避けること

しかし、そんな私でしたが、ある時を境に、学校の授業が楽しくなり、不思議とテストの点数も上がっていったのです。

「分からない」は、良い質問

勉強が楽しくなった瞬間

勉強に苦手意識を持ったまま、高校に進学しました。

国語の授業中に、先生が黒板に書く回答を見て、いつも通り「(どうしてこの回答なんだろう?)」と考えていました。

しかし、なんでと聞くことはできず、自分一人で考えていると、

手が止まっている私を気にかけてか、先生が寄ってきて「どうしたの?」と聞かれました。

と思い切って話してみたものの、

「(きっと、どうしてではなくてこれが答えなのよって、言われるんだろうな〜・・・)」

と身構えていると、「どうしてだと思う?」と私にニコッと笑いかけられたのです。

そして、

くれました。

時間はかかりましたが、最後には「なるほど」と納得できた、こんな授業は初めてでした

「なんで?」が、友達の学びに役立つ

「なんで?」が解消されただけでも嬉しかったのですが、私のそばを離れた先生が一言

「さっき、こちらで良い質問が出ました。」

「作者は、どうしてこの様な表現をしたのでしょう?みんなで一緒に考えましょう」

と、私の「なんで」が良い質問だと言われたのです。

さらに、授業を受ける他の生徒の刺激にもなって、「なんで?」が自分だけでなく、周りの人に役立つことを実感した初めての経験でした。

「なんで?」は、良い質問

それから、苦手だった国語の授業は

を大切にすることで、どんどん楽しくなり、不思議と成績もドンドン上がりました。

そして、何よりも

「なんで」と素直に聞けることで、学校の授業が何倍も楽しく

なりました。

グループAは、ファシリテーター

昔は、よくわからずに

に分けていましたが、今思えばAは、ファシリテーターと同じことをしてくれていました。

一方的に答えを押し付けるのではなく、

・疑問や意見にしっかりと向き合い

・中立な立場で接し

・強みや、個性を活かしてくれる

そんな大人でした。

恩返しではなく、「恩送り」をしたい

私が、toiee Lab で働く理由

あの国語の先生のおかげで、私は国語が好きになり、学校の授業が楽しくなりました。さらに、電車の中、散歩中、仕事中にも、堂々と

「なんでだろう?」

と疑問を発することで、たくさんのチャンスと成長を得ることができました。

例えば、

と、思わぬチャンスや機会を「なんで?」が運んできてくれました。

あの時出会った先生や、グループAの大人がいなければ、もしかしたら「なんで?」と問うことはやめていたかもしれません。

あの授業に、私は救われました

子どもに限らず全ての人に、あの時私が与えてもらったような

そんな学習の場を提供するために、日夜働いています。

toiee Lab が体系化した

は、私のような「なんで?」人間にピッタリだと確信しています。この理論を多くの人に、分かりやすく伝えていきたいと思います。

追伸:

toiee Lab で様々なことを学んでいる中で、「実は学校で学ぶことは、面白い!」ことに気づきました。

今では、

と、自分の過去の学校の授業に対しての姿勢を後悔してます。そして、願わくば「すべての先生が、グループA (なぜ?を受け入れる人)」であったらと思います。

私のような思いをする人を、一人でも減らすために世界の教育を面白くしたいと願っています。

教育で、世界を少し良くするお手伝いを。



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