学力差について考えてみよう

ある真面目で優秀で情熱あふれる先生の誤解

こんにちは
toiee 亀田です。

今日は、「学力差」ということを通して、教育の現状と、これからについて考えたいと思います。

真面目な先生の悩みが、映し出す根本的なズレ

意識されない、教育の本当の問題とは何か?

ある小学校の先生が、toiee Labのメンバーに、こんな質問をしていました。その方は、非常に優秀な先生で、やる気もあり、情熱もあり、勉強熱心です。

常に数冊の本を持ち歩き、「新しい教え方」について勉強し、教室で実践しています。

本当に、素晴らしい努力だと思います。

しかし、この方と話をしていて、不適切かもしれませんが、 「自分の子供は、担当して欲しくないなぁ」 と素直に思いました(私も、まだまだ修行が足りないので、こんな不謹慎なことを考えてしまいますが、誰でも同じだと思います)。

なぜなら、その方の悩みは、

だったからです。

toiee Labメンバーも危うく、罠に落ちるところでした

根強い「教える物差し」の世界

それとなしに、toiee Labのメンバーが「この先生のために何かできることはないか?」を話しているのを聞いていました。

各人、様々なアイデアを出して、活発な議論をしていました。

しかし、その議論を聞いているうちに、「重大な間違い」に、気づき、ハッとしました。

つまり議論は「学力差をどうやってなくすか?」という方法を探すためのものだったからです。つまり、 学力差は、存在し、是正すべきもの という前提を、無自覚にも受け入れ、それを解決しようとしていたのです。

「学び方には、1ダースもの違いがある」

この言葉は、P.F.ドラッカーがハーバードビジネスレビューの論文の中で、さらっと書いていました(今から40年以上前です)。

その後、学習スタイルの研究が始まり、4パターンに分けたものや、脳のチャンネルを10に分ける(ガートナー)、さらにはこれらを発展させ、13分類、24分類などなど。

学者の数だけ、分け方があるのでは?という状態になっています。

このことが示すのは、「人の学び方は多様だ」ということです。しかも、千差万別です。

このことから、すべての人が「同じようなスピードで学習できるはずがない」ということは、自明です。

もちろん、長い目で見れば、平均化してくるかもしれません。むしろ、長期的に見た時に(20年、30年スパンで)、高いレベルで平均化してくるかもしれません。

しかし、20年後において「いわゆる学力」という誰かが作った物差しで、何かを計っても無意味です。その生徒は、現実の多様で不確実な社会で、臨機応変に何かを学び、試し、学び、試しを繰り返しているはずです。

学力差は必然、問題は別のところにある

つまり、学び方が違う以上、ある先生の教え方が、ぴったりハマれば、伸びるし、はまらなければ伸びません。誰かが作った物差し(小テスト、期末テスト)では、学力差が出るのは当然です。

そして、もっと問題なのは、先生の思考です。つまり、一人一人の生徒を比べ「学力差」と言っていること自体が問題です。

先生がそのように他者を比べるような意識を持てば、それは生徒に非言語レベルで伝わります。つまり、「君はできる子だね」「君はできない子だね」「テストの結果からわかったよ」と伝わる可能性が高いです。

なぜ、偏差値は、学習を促進できないのか?

むしろ、有害にしか働きません

私たちの学習のメカニズムは、生物が進化させてきた「フィードバック調整システムの延長」にあります。難しいことはさておき、

を比較し、次の行動を調整することが、学習の本質です(すみません、わかりづらくて。そのうち、ちゃんと説明しますね)。

ざっくり言えば、「結果を見て、振り返った時、学習が起こる」ということです。その時の結果は、

を指します。ある行動をやってみた時、「期待する結果との差が縮まった」とわかれば、その行動を強化します。逆に、「期待する結果との差が広がった」となれば、その行動を抑制します。

この強化、抑制の調整が、広い意味での学習となります。人間の場合、大脳の発達により、推論システムそのものを調整することができます(ヒューリスティクスとか、アブダクションとか呼びます)。

なんにせよ、重要なことは「自分の行動と結果(の差分)」を目の当たりにして、次どうしようか?を考えることが、学習であり、その能力を伸ばすことが「学ぶ力をつけること」になります。

その点において、偏差値は何の役にも立ちません。それどころか、有害ですらあります。

偏差値 = 順位 => 学習に悪影響しかない

偏差値の計算式は、Wikipediaで調べれば載っています。(全体の平均を求めて、その平均で自分の点数を引いて、それを正規分布にマッピングして、さらには、分かりやすい数字に直す)

要するに、順位付けをしています。この数字は、全体のどこらへんに自分がいるか?を教えてくれているだけです。

ここで重要な点は2つです。

  1. 自分が努力しても、みんなの成績が上がれば、偏差値は伸びない(もしくは下がる)。つまり、自分が成長したかどうかには関係ない
  2. そもそも「テストの点数が正規分布なんてしない」という矛盾は無視する

まず第一に、単なる順位ですから、どれだけ努力しようが、周りの人の成績が上がれば偏差値は変化しない、あるいは落ちてしまいます。

つまり「知らない間に、競争させられている」ということです。さらに悪いことに、自分の成長には何の役にも立ちません。

成長とは、過去の自分と現在の自分を比較して、改善したことを指します。ということは、比較すべきは、過去の自分です。偏差値では、その指標を与えられません。

さらにさらに悪いことに、努力しても報われないという気持ちを与えてしまえば、その人はもう「学ぶ楽しさ」を忘れてしまいます。

それと数学的なことになりますが、試験の点数が「正規分布」するなんて、ありえません。それを仮定するなら、そもそも教育は成り立ちません。

どんなに努力しても、「平均を中心に、できる人と、できない人に分かれる」ということを認めていることになります。

さらに、現実を見れば「正規分布するような問題」とは、ランダムな記憶のテストぐらいです。知性、考える力を測れば、もっとばらつきが出るでしょう。本当に、くだらない指標です。

一人一人の成長をサポートする

では、私たちにできることは何でしょうか?偏差値による合否判定の仕方を変えることは難しいです。もっと簡単で、効果のある行動があります。それは、

「自分の成長に、焦点を合わせるように、手助けする」

ということです。例えば、子供が学校から帰ってきて、こんなことを言ったとします。

「『先生に、君は XXX ができない。他の子供達はできているのに。なぜ?ちゃんと勉強しなさい』って怒られた」

その時、私たちができることは、

「なるほど、先生の評価はさておき、君は前よりも XXX を理解できるようになったかな?」

「できるようになったところと、まだできていないことは何かな?」

「どうすれば、理解できることを増やせるだろうね?」

「何か、試してみようか?」

というように、「本人の成長(過去の自分と現在の自分)」に目を向けさせ、次の行動を考えることを手伝い、行動させることです。

その行動をまた振り返って、次の行動を考えさせる。この際に、「とっておきの方法があるけど、試してみない?」といって、いくつか方法を提案するといいでしょう(その時、ノウハウが役立ちます)。

本当の自信が生まれる時

成功しても、失敗しても自信は得られる

このようなプロセスの力を使って、人をサポートすると、人は「自信を持ちやすく」なります。

ところで、ここでいう「自信」とは、

を指します。このような自信を持っている子供は、何事にもチャレンジし、失敗からも多くを学びます。そして、自由に発想し、自主的に考えます。

このような自信を生み出すには、「成長できた自分」「変われた自分」を実感した時です。

つまり、

ということです。

仮に「成功」をしたとしましょう。そして、やたらめったら親に褒められたとします。すると、次も成功したい!という気持ちが生まれます。それだけならいいですが、

「もし、失敗したら褒められないだろう・・・」

と思い始めると、「失敗が怖く」なります。すると、失敗せず、成功する方法に注目がいき始め、成功したら安心する、失敗したら目を背けるということになり、「学び」を引き出せなくなります。

いわゆる「コチコチマインド」というやつです。

褒めない、叱らない、プロセスを使う

私たち自身、そして若い世代、すべての人にとって必要なのは、賞罰(点数、受験合格)ではなく、「学ぶプロセス」です。プロセスによって、私たちは「自信」を手にいれます。

自信は成長を加速させます。自信がある人は、「あるがままの自分を受け入れ」ます。いわゆる「自己に対する慈愛」は、そのまま他者に展開できます。

他者に対しても、受け入れる力を育てることができます。すると、他者はライバルではなく、違う意見をくれる成長の糧になります。たとえ競争していても、勝ち負けではなく「刺激、成長のための情報源」として観れるようになります。

そんな教育を、これから作っていって、「当たり前」にしていくことが、この知識社会において重要だと考えています。

しかも、

「実現する方法は、もう手にしている」

先人の知恵を総合すれば、可能

toiee Lab は、先人の知恵を集め、整理し、「人が本来持つ学習メカニズム」を使った学習と、

と、学習を総合的に研究し、学習理論、教育カリキュラムの作り方を体系化してきました。

その方法を、どんどんシェアして、教育に貢献したいと考えています。そして、良い方法を考えました。

工場見学

どんな物事も、「実際に見てみないと」学べません。たとえば、数学の自然数という概念を獲得するには、たくさんの具体的な数字の体験が必要です。

また、数字の概念を手に入れるには、数字を体感するような実生活での体験(チョコを分けたり、ジュースを入れたり、イチゴを数えたり・・・)が欠かせません。

つまり私たちの脳は、

ようにできています(うーん、説明が難しいですね、ゴメンなさい)。

同様に「良い学習プロセスを生み出す理論」を学ぶには、「具体例をたくさん見ること」が一番だということです。

その方法をスタートさせました。



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