学習とは何か?を子供に自転車を教えるプロセスで考えてみよう

学習とは、経験を通じた自己組織化現象である

教えられる vs 自ら学ぶ

今日から、しばらく「学習とは何か?」について、 可能な限り、文章でお伝えします。

難しいところが、あっても「どんどん進んで」ください。

必ず、発見と「日々の仕事や、子育て、部下の育成、会社の運営」の ヒントが得られるはずです。

では、早速。

学術的に定義すると・・・

やっと、シンプルにまとまったので、日本教育工学学会に、論文を出すことを検討しているところです。古巣のゼミなどで取り組みを始めました。

提出する論文は、何種類かになりそうですが、一つの論文では、以下のような主張をします。

「学習とは、経験を通じた自己組織化現象である」

この意味が、バシっとわかれば、人の育成の方法を大きく変えるはずです。

例えば、ダイレクトに影響するのが「子育て」です。そして子育てに非常に似ている「部下の育成」に役立つはずです。

今日は、「友達の子供(私の子供ではなく)に、自転車を教えるエピソード」で説明します。

間違ったスパルタ教育

ある人が、5歳の子供に自転車の乗り方を教えようとしていました。その方は、2年も前に自転車を購入し、乗れるようにトレーニングしようとしたのですが、子供は乗りたがりませんでした。

そして、5歳になって、いよいよ、周りの子供たちも乗り始め、小学校入学も目前に迫り、焦りました(親が)

そこで一念発起して(子供ではなく、親がです)、スパルタ教育をすることにしました。それは、それは、厳しかったようです。

公園に、怒号が飛びます。

「こうしろ。ああろ」
「そうじゃない、何度言ったらわかるんだ」
「転びそうになったら、こうだ、こうやるんだ!」

外部から「強制的に指示」をすると、注意が外に向いて、学習効果が低下し、やる気も勇気もくじく傾向がある

あまりの激しさに、居合わせた、他人が子供に「大丈夫?」「元気出せよ」と励ますほどでした。
結局、自転車に乗れるようにはなりませんでした。

そして、「もう練習なんて、したくない!」と言いました。

※ ダメな親だなーと思いますか?私も含め、別のことでは、同じようなことをしてしまっている筈で、我が身を正すきっかけにしています。
私は会社運営で、まさに「間違ったスパルタ」をしていたと反省しています(これは次回の記事に書きます)

ところが、次の日に「コマなしで乗れました」

こんな気持ちになってしまった子供は、どうなったでしょうか?

しばらく、トラウマになって、自転車に乗らず、苦手意識を引きずって大人になったでしょうか?

実は「次の日に、コマなしで乗れるように」なってしまいました。

練習すら嫌!と言っていたのに、次の日には「スイスイ、二輪で乗れる」ようになりました。しかも、3時間ぐらいで、です。

この子供に、何が起こったのでしょうか?

自分の経験に焦点を合わせる

実は、私が教えました(我田引水っぽくてすみません)。

息子は半日だけ「片方だけ補助輪」をつけて走り、次の日には「補助輪なし」で自転車に乗れるようになりました。

息子は、ほとんど自転車は乗っていません。週に1度、乗るか、乗らないかです。移動は徒歩か、車がほとんどでした。

ですから、圧倒的に「自転車に乗る機会」が少ないのにもかかわらず、あっさり乗れました。

なお、運動神経は普通です。どちらかというと、あまりよくないと思われるぐらい、おっとりしているところがあります(私が、そうでしたので、遺伝でしょうか)

教え方のポイントは、以下の2つです。

  1. 自分の経験に、焦点を合わせる
  2. 小さなステップを作ってあげる

息子と一緒に「自転車を探求したプロセス」を、友達の子供にも試してみました。

なぜ、ガミガミいうと学習が阻害されるのか?

これは、誰しも経験があるはずです。例えば、車の運転の時に、「あれをしろ、これをしろ、それはダメだ!」と指示を飛ばされすぎると、余計に事故を起こしそうになります。

外野から、ガミガミ言って指示を与えると、「指示に意識が向き」、学習が阻害されます。

同様に、自転車に乗る子供に「あれをしろ、これをしろ!」と騒いでも、無駄です。

瞬時に大人の指示を理解して、直せるほど、言語能力は発達していませんし、大人でも難しいでしょう。

「学習とは、経験を通じた自己組織化」です。

重要なのは「自分の体験に焦点を合わせられるように」してあげることです。

・・・

今、この瞬間に起こっていることを感じて、自分なりに「次どうすればいいか?」を考えられるように、「空白・スペース」を作ってあげることです。

思考の場合、この空白・スペースは「問い」によってもたらされます。

さて、話を自転車に戻します。
実際にやったことは、以下の通りです。

補助輪付きでジャイロ効果を感じる

そもそも、自転車が倒れないでバランスを取れるのは「ジャイロ効果」によります。コマの原理ともいます。(最近の若者は、コマ回しなんてしないかもしれませんが)コマを回すと、安定して立っていますよね。

回転が遅くなってきたら、フラフラします。
あれがジャイロ効果です。

空中で、コマを横に倒して、高速回転させれば、コマは「横倒しのまま、空中でバランスをとり」ます。

すごいですよね?
(このジャイロ効果は、スマホの加速度センサーなどにも応用されています)

要するに、自転車で補助輪なしで乗れるには、ジャイロ効果が出てバランスがとれるぐらいは、スピードを出す必要があります。

つまり、「ある程度のスピードに乗る」ということが必要です。

それを体験させることからスタートしました。もちろん、ジャイロ効果について説明なんてしません

以下のように行いました。

耳を澄ましてごらん?

補助輪を左右につけたまま、走らせて、スピードを上げるように励まします。「Go, Go, Go、漕いでみてー」すると、時々、ガラガラーてならなくなります。その瞬間に、「ほら、いま、ガラガラーって言ってないねー」と声をかけます。

実は、補助輪は「タイヤよりも、内側」についています。その結果、バランスよく乗れれば、「補助輪は空中に浮き」、ガラガラという音はしません。

補助輪は、タイヤよりも短いので、バランスよく乗れると、地面からういて「ガラガラ」いわなくなる

これを何度かしていると、スピードを出すのが楽しくなってきます。

外部から指示される vs 自分の経験に焦点を合わせる

外から

「もっとスピードを出せ」
「もっとスムーズに足を回転させろ」
「まっすぐにバランスを取れ」

と指示されても、相手が言わんとしていることが、当の本人にはわかりません。とりあえず、言われるように「なんとなくスピードをあげてみる」だけになります。

これが「外部から指示されている状態」です。

一方で「ガラガラ」音がする、しないに耳をすまし、どうしたら、音がしなくなるか?に集中をします。すると、自分の経験に焦点を合わせて

「どうやったとき、音がなったか?」
「どんなとき、音がなくなったか?」

を何往復かしている間に、考えるようになります。

これが「自分の経験に焦点を合わせる」状態です。

ちょっとした「教えるテクニック」

ところで、運動系だけでなく、思考に関する技術を習得するとき、「無意識の自動処理化をうながす」という教師用のテクニックがあります。このテクニックの応用が「音に集中」させることです。

足の回転を意識すると、どうしてもぎこちなくなります。そこで意識を耳に持っていくなどすると、足の回転はスムーズになります。そうして、「ガラガラー」と補助輪の音がなくなるようにしたい!とイメージを自然に使います。

これが「ガラガラーの音に意識を向ける効果」です。

振り返る

そうやって、何度か往復した後、「ガラガラーって言わないときあったね。どうやってた?」と聞くと、体験を思い出して「早く走ってた!」と教えてくれたりします。

自分が経験したことを、振り返って意識にあげるような時間を作ることは、学習を飛躍的にアップさせます。

私は、「そうだねー、速かった時に、ガラガラと音がならなかったねー。ジャイロ効果が発生したんだよ」と冗談で難しい言葉を教えます。

すると、大阪の子供なので「なんじゃそりゃー」と笑いながら、突っ込まれます。

段階を進む

そして、次に「片輪」を外します。一応、利き足側を外しました。利き足の方が、自由が聞いて倒れそうになったら、支えやすいからです。そうやって、次のチャレンジに進みます。

よーし、片方だけでやってみよう!」
「これができたら、すぐにコマなしで乗れるようになるよー」
「スイスイできるようになるからー」

とワクワクさせて、スタートしました。 この時も「ガミガミ言いません」。

「学習は経験」を通じて起こります。

・・・

彼の場合、右足側を外したので、私は右側に立ちます。そうして、「レッツゴー!」と一緒に走り始めます。最初は、左に体重をかけて、補助輪に頼っています。

そこで、時々、右側に軽く引っ張ります。すると、ガラガラーと補助輪の音がしなくなります。

「お、今なってないね」

とか声をかけます。

でも、右に傾いて、転びそうになります。その瞬間に、反対側(左側)にハンドルを軽く曲げる手伝いをします。するとバランスが元に戻ります。

これを何度か、一緒に繰り返します。徐々に、私が触らなくても、自分でハンドルを右へ左へ回して、バランスを取るようになります。

自分の判断で、次の段階へ

2年も前に自転車を買ってもらって、しかも「小さなタイヤで軽くて、ジャイロ効果が生まれやすい」自転車だったので、すぐに「片方だけの補助輪」に慣れてしまいました。

そこで聞いてみました。

「どうする?両方外す?」

最初は「いやいや、まだ無理」と言っていますが、何度か往復していると、自分から「もう外してー」と言われました

私は「自分が納得して、次にチャレンジしたい!」と思う気持ちが、大切だと思ってます。外から、ガミガミ言われて、チャレンジしているのは、ただ「怒られないため」であって、勇気を出したわけではありません。

私は、この子の勇気を感じ、「オォー、やってみる?」「ドキドキするねー、楽しいねー」という感じで、話しながら、両輪を外しました。

いざ、出陣

蹴り出しは難しいですから、最初にスピードに乗るところまで、押します。すると、スルスルーと一人でバランスをとって、乗れてしましました。あっさり、乗れてしまったので、手を離した私も驚いたほどです。

一番、驚いたのは、その子の親でした。

「自分は、見よう見まねで、気づいたら乗れていたから、 教え方が、わからないんですよねー」

と感想を漏らしていました。

経験に焦点を合わせるように、仕向ける

私たちは、「外から指示されて、それ通りに動けるようにはできていません」。コンピューターなら、プログラムという外部で命令を作って、読み込ませれば、言われた通りに動きます。うまく動かなかったら、プログラマのせいになります。

一方、人は「脳の仕組み上」、そんなことはできません。

脳は「自己組織化」という現象によって、ほぼ自動的に、自分の体験を分類、整理します。そこに、さらに「意識的な活動」によって、意味やラベル、抽象化、類推、仮説などを立てていきます。

(toiee Lab の学習理論は、このような仕組みをシンプルなモデルで表して、構築しています)

要するに「経験を、自分なりに整理することが学習には不可欠」なのです。なので、ガミガミ言って、その体験を阻害すると、学習は引き起こりません。

誰もが、「学ぶこと」について注意を払うべき時代

私は誰もが、「学習、つまり我々は、どう学んでいるのか?」について、注意を払う必要があると考えています。私たちの「学び方」「そのメカニズム」を正しく知ることは、知識労働者社会に置いて、重要であるだけでなく、

など、あらゆることに関わるからです。

ある研究では、一般人の多くが、仮説思考できるようになった時期と、公民権運動の時期が重なっています。つまり、

「もし、自分が黒人だったら?」と考え、感じられるほどに、知性が発達したからこそ、差別を撤廃する方向に進めたと言えます。

これからの人類全体に関わる、様々な問題が出てきますし、すでに出ています。

私たちは、知性を高めていく必要があります。そして、子供達には、私たちよりも、もっと相手のことを思いやれる人になってほしいですし、そのような「知性」を育んでほしいと思います。

ちなみに、このような知性は、IQ, EQ, SQ として表されています。これらは、学ぶことで、伸びます。伸ばし続けられます

大げさですが、「toiee Labの研究は、人類の前進に貢献している」と自負しています。 その研究成果をわかりやすく、まとめて伝え始めました。

是非、最新の研究成果を聞いてください。 きっと、役立つはずです。



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